伊東発見隊!
江戸城と宇佐美の深い縁
みかん狩りで有名で、全国の宇佐美さんの発祥の地でもある伊東・宇佐美地区。
このまちで、何やら刻印や穴のあいた大きな石が発見されるということです。
刻印石 刻印石 刻印石
刻印石
この印は、聞いてみると江戸時代の大名の印だそうです。何故ここに?
ナコウ山 実は、徳川家康が江戸に入り、それまでの貧弱な江戸城を壮大な城に大改造しようと、30数年の間に何回にもわたって、大名たちに土台となる石を切り出し運ぶよう命令しました。
そこで、各大名は小田原から伊豆半島にかけて石丁場(石の切り出しをおこなう場所)をもうけ、石を切り出し江戸に運びました。
多いときには、三千艘もの舟が、月に2度ずつ江戸と伊豆の間を往復したといわれています。伊東はその中心的な場所にあたり、特に宇佐美のナコウ山からの切り出しは多かったそうです。
城イラスト
すぐ海ですから運びやすいといっても、山から切り出したものを海岸まで運びだすのは大変な重労働だったでしょう。
ナコウ山の名の由来は色々言われていますが、故郷を離れて重労働にはげむ石工たちが家族を思い、夜しのび泣き泣き互いに励ましあったところから「泣こう」山というのが一番ぴったりのような気がします。
現在、ナコウ山を中心に石丁場の跡には、運びきれずに残された各大名の刻印石や石を割るために穴が開けられた矢穴石がが数多く見つけられます。街なかや留田海岸でも、積み残された刻印石や矢穴石が、何気なく見ている風景のなかで発見することができます。
ただの大きな石と思われていたものが、実は400年前の歴史の出来事を秘めていたわけです。
伊東・宇佐美の街なかを散策しながら、歴史のロマンにひたってひたってみませんか?新しい発見があるかもしれません。
宇佐美のまちハンドブック 江戸城石丁場遺跡と歴史文化遺産<宇佐美のまちハンドブック>江戸城石丁場遺跡と歴史文化遺産
さらに詳しい情報は宇佐美まちハンドブックから見る事が出来ます。
あるある刻印石
刻印石とは採石された石に「刻印」が刻まれることが多く「刻印」を「石垣にノミで刻んだしるし」で刻印石と称します。
この刻印が助役大名を決める決め手として重要なのです。
九曜 丸に一 丸に十 中に丸 丸に左三巴 丸にT カギ卍 九文字
〈九曜〉
伊豆地区の石丁場で調査では加賀前田家が九曜を使っている。
細川家のものである公算が強い。
〈丸に一〉
前田家もしくは細川家と推定。
〈丸に十〉
島津家の家紋であり、大阪城でも島津忠興の印。土佐原藩島津家の可能性が高い。
〈丸に中〉 〈丸に左三巴〉 〈丸にT〉 〈カギ卍〉 〈九文字〉
曲尺
〈曲尺〉 〈矢はず〉
この刻印石についての詳しいことは「日本の歴史文化遺産・宇佐美江戸城石丁場遺跡」をご覧ください。
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